自転車はロケット

自転車と電車でどこにでもキャンプに行こう

特に意味はなく

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 20代以上の4人に一人がお歳暮を送る、というのが、先日あるテレビ番組で紹介されていた。それが多いか少ないかは別にして、現在の日本でその"お歳暮"なる習慣を物理的な意味で支えているのは、物流業者である。繁忙期といわれる年末の時期、大手物流業者はどこでも大抵、臨時のアルバイトを募集する。一年の感謝の気持ちを示す贈り物は、こういったアルバイト職員の手を経て、送り先へと届く。

  私は以前、そのアルバイトに就業したことがある。深夜から早朝にかけて、物流のターミナルで荷物を仕分ける仕事である。繁忙期の短期バイトだから仕方ないのかも知れないが、研修はお粗末だった。コピーを繰り返して文字が滲みきったプリントの束を配られ、最初の文章をほんの少し読み合わせただけで、残りは「各自で読んでおいてください」。大きな怪我につながるような注意点は教えてくれるものの、荷物の持ち方など基本的なことはほとんど教えてもらえない。不安なまま勤務初日を迎え、とにかく指示される通りに一心不乱に荷物を仕分ける。送り先を確認し、その営業所へ運ばれる台車へ。大きい荷物、小さい荷物。重い荷物、軽い荷物。米袋、お酒、クリスマスプレゼントに正月の餅。目まぐるしく流れる荷物に、息を切らしながらも無心で体を動かす。どこかで罵声が聞こえる。短期バイトはこの職場のカースト内では最底辺である。未だ体育会系の風潮が色濃く残る業種であるためか、衝突は絶えない。月に一度は、喧嘩などの問題が起きるらしい。休憩室へと向かう通路の壁には、誰かが腹いせに殴って作ったであろう大きな穴が修繕されないまま残っていた。

 そんな環境で人をこき使えば、荷物の扱いも当然雑になる。荷物に貼られた割れ物注意や天地無用のシールが建前になる場面をよく見かけた。投げられる荷物。落とされる荷物。米袋や一升瓶が意外と丈夫であることを知った。でも、たまには袋だって破れるし、瓶だって割れる。しかしそれで青い顔になるのは、破損させたアルバイト本人ではなく処理をする上司の職員であった。先のない短期バイトに対しては、ほとんどお咎めなしなのだ。もし壊れても所詮バイトには関係ないという考えが、荷物の扱いを更に雑にさせていた。袋が裂け、散らばる米がリノリウムの床に跳ねるちりちりという音。しかし際限なくやってくる次の荷物に、掃除をする暇もなく作業は続けられる。安全靴の底で米が砕ける罰当たりで不快な感触を足裏に感じ、それでも休むことなく荷物を仕分けながら、私は考えていた。この仕事は何かが間違っていると。

 私達が普段、通販であっという間に商品が手に入るのも、実家の母から仕送りの荷物を受け取ることができるのも、物流のお陰だ。そして現在ではそれが常識となっているものの、非常に安価な価格でその恩恵を受けることができる。重たいダンボール箱を、宅配業者以外に誰が千円ぽっちで運んでくれるだろう。そして安価だということは、同時にどこかでコストカットのために無理をしているということでもある。今やあらゆる業界で、価格競争は避けられないものとなっている。しかし価格競争は消費者の基準を混乱させてしまうのではないか。どんなものにも適正な価格というものがあるはずだが、一度価格が下がってしまえば、消費者はそれに味を占めてしまう。牛丼チェーン店の異常な値下げ戦争とそれに伴い従業員への負担が他社で叫ばれる中、最大手の一社が値上げを敢行しそこからいち早く抜け出した一連の流れは記憶に新しい。

 物流に関してはこういった話がある。ある青年はこの21世紀の現代で「飛脚」を名乗り、徒歩で全国に手紙などを届ける活動を行っているという。送り主の"想い"を届けることに主眼を置き、料金は一歩あたり1円と、安価な物流とは対極のスタンスをとっている。現代の物流に無いものが、この活動にはあると私は考える。