自転車はロケット

自転車と電車でどこにでもキャンプに行こう

法月綸太郎 ”頼子のために” と 東野圭吾 ”悪意”

法月綸太郎 ”頼子のために” と 東野圭吾 ”悪意” を読みました。

正確に言うと”頼子のために”を先ほど読み終えて、既に読んでいだ”悪意”のストーリーを思い出したのです。このことで、今回この二冊を並べて紹介しようと考えました。

なぜ”悪意”を引き合いに出したのかは、双方を読んだ方ならなんとなくお分かりかと思いますが、この二つの作品には大きな共通点があります。それは物語の冒頭から、事件が当事者の手記という形式で語られること。そしてこのことが、物語の重要な鍵(核心に触れるため、ここではその内容は記しません)を握ることになるのです。

”悪意”を初めて読んだときは、なんと華麗に組み立てられた作品だろうと思いました。しかし”頼子のために”で法月氏はそれに近いトリックを用い、さらにそこから一段飛躍した驚愕の展開を我々に見せてくれます。ちなみに作品が世に出たのは”頼子のために”が数年早く、しかも著者のあとがきによれば作品の原型はさらに前の学生時代に書いていたものだとか。

あくまで少しの共通点があるだけで、もちろん双方に沢山の魅力がある作品ですので、比較すること自体がナンセンスだとは思います。事実、僕の中で東野作品のナンバーワンは”悪意”です。

しかし!個人的には”頼子のために”をおすすめします。